自分の可能性を信じてホームレスになる(前編)

私は元ホームレスです。
ホームレスは二度ほど経験しました。
今回は二度目のホームレスのときを思い出して書いていきたいと思います。
今から約30年前。私が20代のときのことです。
トレードとはまったく関係がない内容です。
でも、私にとっては関係があります。
どんな厳しい状況でも、自分の可能性を信じてきたからこそ、今、トレーダーとして生きていられるのだと思っています。
では、さっそく、どうぞ。

部屋を出てホームレスになる

まずは、ホームレスになった経緯から書いていきましょう。
当時、同じ職場で知り合った女性と同棲していました。
数年間、一緒にいたこともあり、女性のほうから「結婚」という言葉が度々出るようになりました。
「そろそろ、結婚しようよ」
「早く結婚したいよ」
というように。
しかし、私にはその気がまったくありませんでした。

私は「何かで成功したい」、いや、「成功できる」と思っていました。
何の根拠もなかったのですが、自分の可能性を強く信じていました。

だから、成功をつかむため、いろいろなことにチャレンジしたかったのです。
結婚してしまうと、いろいろなことにチャレンジしづらくなってしまうので、結婚したくなかったわけです。
「なぜ、成功したかったのか」「どういった成功を目指していたのか」については後ほど述べます。
このことが原因で、頻繁にケンカをするようになりました。
そして、とうとう、別れることに。
私のほうが部屋を出ていくことになりました。
初めは、
「友だちのところに泊まりながら、寮ありの職場を探せばいい」
と甘く考えていました。
別れると決めた日の夜、大きなバッグ1つとリュック1つを持って部屋を出ました。
所持金は5万円くらいだったと思います。
自転車のペダルを踏んで、彼女と一緒に住んでいた部屋を後にしました。

ホームレス初日

部屋を出て真っ先に向かったのは友だちの部屋です。
バイト先で仲が良かったヤツ。
その友だちに大きなバッグを預かってもらいました。
日々の生活に必要な物はリュックに入れて持ち歩くことにしました。

そして、バッグを預けた後、別の友だちのところへ。
中学の同級生です。
訳を話して泊めてもらいました。
ビールを飲みながら中学時代の思い出話をして、とても楽しかったです。
ホームレス初日は楽しく終わりました。

友だちの部屋を転々とする

その後、いろいろな友だちの部屋を転々とすることに。
なるべく、連泊しないようにしました。
本当は数日間、泊まりたいけど、気を遣って1日だけにしました。
それで、10日間くらい開けて、また1日だけ泊めてもらう。
これの繰り返しでした。

毎日、考えることは
「今日はどこに泊まれそうか?」
です。
常に寝られるところを探していました。

ロールパン1袋が1日分の食事

主食は安いパンです。
ロールパンをよく食べていました。
1袋に5個か6個入っていたような。
その1袋が1日分の食事でした。
朝1個、昼2個、夜2個というように。

あとは、友だちが食べさせてくれました。
インスタントラーメンを作ってくれたり、ご飯を炊いてくれたり、パン・おにぎり・弁当を買ってくれたり。
友だちも皆、20代だったので、お金に余裕がありませんでした。
苦しい中、いろいろ食べさせてくれたわけです。
ありがたかったです。
ある友だちが給料日の後、吉野家の牛丼を2日続けておごってくれました。
話が逸れますが、この友だちがコロナ禍のとき、一時的にお金に困り、私のところに借り来ました。
私は、他人にお金を貸さないと決めていました。
なぜなら、一度も全額返してもらったことがないからです。
催促や取り立てが苦手なので、半額でも返ってくればいいほうです。
なので、貸さないと決めていたのですが、一つ返事で貸しました。
喜んで、ロードバイクで友だちの家に行き、お金を渡してきました。
「牛丼大盛り2杯分の恩を返せる」と。
お金を渡した後、牛丼の話をしたのですが、その友だちは覚えていませんでした。

日払いバイトで食いつなぐ

ホームレスのときの仕事は日払いバイトをしていました。
配送助手、引っ越しスタッフ、事務所移転スタッフ、工場軽作業、ピッキングスタッフなど。
「寮あり」の会社に就職したかったのですが、「住所不定、連絡先なし」という条件だったので、採用されませんでした。
今ならスマホが連絡先になりますが、当時は固定電話が連絡先でした。
この連絡先がないと、信用がなく、採用されないことが多かったのです。

寒くて寝られない

友だちの部屋に泊まれない日は、マンションの階段や踊り場で寝てました。
それか、ある建物の屋上でよく寝ていました。
本当はいけないのですが、夜、こっそり忍び込んでいました。
受水槽・高架水槽清掃のバイトをしていたことで、この建物の屋上に出る扉の鍵がどこにあるかということを知っていたのです。
夏場はここでよく寝ました。

段ボールハウスで寝る、という発想はありませんでした。
受水槽・高架水槽清掃のバイトをしていたことで、いろいろな建物の寝れそうな場所を知っていました。そこを転々としていました。
雨風はしのげるのですが、寒さまではしのげない。
丁度、今くらいの時期(執筆時は11月)から部屋以外で寝るのが辛くなってきました。
寒くて寝られないという日が続いたこともありました。

いつかホームレスから抜け出して何かで成功してやる!

日払いのバイトが数日間なくて、友だちの部屋にも数日間泊まれないと、食費すらなくなってしまいます。
朝から何も食べれないという日もよくありました。
そんな厳しい状況でも、常に上を見ていました。
「いつかホームレスから抜け出し、何かで成功して大きなお金を手にしてやる! 自分ならできる!」
なんの根拠もなかったのですが。
でも、この「根拠のない自信」だけが心の支えでした。
これがなかったら、なんの希望も持てなかったので、ホームレス生活はもっと辛かったと思います。

とにかく、大きなお金を手にしたいと思っていました。
私は貧しい家庭で育ちました。
団地に住んでいたのですが、夜中に目を覚ますと、ふすま越しに両親がお金のことで揉めていることがよくありました。
お小遣いもないし、着てる服もいつも同じ。
おかずが佃煮だけとか、ふりかけだけということもよくありました。
そんな生活をしていていたので、いつしか、「成功=大きなお金を手にすること」という考えになっていました。

当時は「株取引で」ということは頭にありませんでした。
「何か起業して」と考えていました。

もう終わりにしたい

常に上を見て頑張っていたのですが、10ヵ月くらいのホームレス生活で、肉体的にも精神的にも疲れてしまいました。
生きていくのが面倒くさくなってしまいました。
「もう終わりにしたい」
そう思い、ある場所に行きました。
夏場によく、こっそり忍び込んで寝た「ある建物の屋上」です。
でも、このときは寝るために行ったわけではありません。
屋上は2メートルくらいの柵で囲われていました。
柵の鉄柱を左手で握ると、嫌な感触が。
柵に塗られていた塗料が劣化(?)したのか、粉っぽくなっていました。
「気持ち悪い感触だ」と思いながらも柵を登り、越えました。
そして、端に立ちました。
風はなく、冷たい空気に全身が包まれる感じ。
つま先の10センチ先には何もない。

※後編に続きます。

 

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